鈍色製鉄所日誌

日記です。

青春時代ってやっぱり大事

私にはとてつもなく大好きなものがあります。

 

ロリと男性の二人組です。

 

身長差があるとなおよいですね。

非常に好きです。大好きです。私は趣味でイラストをかくのですが、オリジナルキャラにロリ+お兄さんコンビの多いこと。

ちなみに、おにロリと簡略化して表記しないのには理由がありまして、恋愛的感情は発生していないロリとお兄さんのコンビが好きなのでおにロリって書いちゃうとそういうCPっぽいのでそうは書きません。

 

大事ですよこういうのは。

固定派なんです。わたし。

CP表記にはうるさいのです。

 

だからね、おねショタっていうよくきく表現も実は好きじゃなくてですね。

確かにお姉さんがショタにつめよって手解きをする、お姉さん優位的な、お姉さん攻め的なCPではあるかもしれませんけど、

最終的にブツをインしてるのショタじゃないですか。

結局攻めてるのショタじゃないですか。

ショタおね、じゃん。

って、思うわけですね。固定派だから。

いや、全固定派の皆様がそういってる訳じゃないですけど。私の意見です。主語を大きくするのはいけませんね。

 

話が脱線しました。

ロリとお兄さんのコンビが大好きなんです。

で、なんで好きなのかと、いろいろ考えてみたところ、そのきっかけが判明したので書くことにしました。

 

西尾維新先生です。

 

私が中高生の頃によく読んでいました。

西尾維新先生の小説。いろいろ読みました。

物語シリーズ刀語シリーズ、戯言シリーズ

いろいろ。

 

その作品の中で、まぁ私の心をギュンッ!!!と掴んだキャラがおりまして。

 

それが、

物語シリーズ八九寺真宵

戯言シリーズの紫木一姫なんですね。

 

今でも大好きな私的2大ロリです。

そして、そのうち前作プリキュアの愛崎えみるがここに加わることになると思います。最終回を終え、未だに引きずっているので。

 

ちなみに姫ちゃんは高校2年生なのでロリと呼べる年齢ではないんですけど、高校2年生という情報以外はロリなのでロリ扱いします。異論は認めますが私は止まりません。

 

中学生だったオタクのわたしは、まぁ当然のように男性キャラが好きなんだろうなぁと思っていました。かっこいいキャラが好き。クールで黒髪の性的な匂いのしないキャラ。

同級生といっしょにね、あのキャラがかっこいい、ふふふってね。してたんですよ。

 

で、そんな中学生時代に。

西尾維新に出会いました。

きっかけは忘れました。

阿良々木暦か、零崎人識か、どっちだったかな。

ほとんど同じタイミングで作中のキャラを知り、シリーズの一作目を手に取りました。

 

衝撃が走りました。

 

阿良々木暦よりも忍野メメよりも

八九寺真宵の可愛さに頭がやられました。

え~~~めっちゃ可愛い~~~

 

ロリって苦手だと思ってたんですよ。

中学生の私と年齢が近いってこともあったと思いますけど。こんな子いないっていう経験が邪魔をして、可愛いと思えなかった。

 

初めてです。

ツインテールの女の子がめちゃくちゃ可愛いんです。いつまでも彼女の話を読んでいたいと思いました。

 

紫木一姫も同様です。

私、あまり小説を読んで笑ったり泣いたり感情がでてくることってあまりないんですが、姫ちゃんの一連の話を読んで呆然としてしまいました。

読後、ありとあらゆるものが手につかなくなりました。

こんなに、この子のことを好きだったのかと思い知らされました。

これも初めての体験でした。

 

 

成長して、大人になって、

ロリが苦手だった私が、この二人を好きになれた理由がなんとなくわかった気がします。

 

隣に阿良々木暦、そしていーちゃんという主人公がいたからでしょう。どちらも男性ですね。

 

作中で二人とも主人公とよく会話をします。

言葉遊びみたいな、そんな会話です。

 

この会話は他のキャラとの会話に比べて少し特殊なような気がします。

 

それは、子供の発想を大人の知識力で解いてみる、という会話です。

少女の口からは、大人になってからはあまり疑問に思わなかったようなことが発されますし、主人公たちはそれに積み上げてきた知識でどうにか答えようとします。

そのなかで新しい気づきもたくさんあります。

 

実はこういう会話シーンってあまりなかったりします。

普通のキャラは幼い子供と会話をするときは自分をそこまで下げて会話をするからです。

子供を子供扱いしてくれるのです。

ですが主人公たちはそうはしていませんでした。むしろ、子供を自分達のレベルまで引き上げて会話をしていたようにも感じます。

そのために、少し不思議な、実はしょうもない、そんな話が繰り広げられていたように思いました。脱線もたくさんして、寄り道もたくさんして、ゴールがどこなのかもよくわからない、そんな話。

 

そんな会話がとても魅力に当時のわたしは感じました。

私の青春時代に強く感じたものでした。

 

 

だからこそ今でもそういう二人組に興味をもってしまうんだと思います。対等な少女と男性の会話劇を求めてしまうんだと思います。

 

青春に感じたものは、ずっと色濃く残るものなんだたと思います。

 

自分の性癖をそんな、キラキラしたもので語るなとも思いますが、これくらいしか私の青春を表現できるものが、ないのだから仕方がありません。

 

 

っていうか、改めて西尾維新先生ってすげぇなって思います。

作品を読んでいて、この人はどんな考え方をするんだろうって、わかるような気がして結構わかりません。もしかしたら5人くらいいるんじゃないかって気がします。

 

でもそんなところも、わたしが今でも先生の作品をよ見続けている理由かもしれないです。

いつまでも目新しい、そんな作品ばかりです。

 

 

 

あしたはなんの話をしましょう。

まだ、決めてません。